広告って難しい

自分の仕事の運び方を、今よりもっと効率化させるためには、広告を作成している以上相手に何を伝え、どういった情報を求めているのかを考える必要があります。
私だって当然広告を作るときは何も考えずに作っているわけではありません。ターゲットを想定し、見てもらうための工夫や、効果がコミットできるように、あらゆる視点から“攻め”の広告をつくっているつもりです。
でもやっぱり、これはいける!と自分が思っている最高傑作でも、それは自己満足に終わり反響が全然なかったり。また、正直なぜこんな広告で効果が出るんだろう、と思えるようなちょっぴり恥ずかしいものもあったりします。それでも、この仕事を始めたころに比べると予想の通りに運ぶケースの方が増えてきている分、自身の成長をそれなりに感じてはいます。

広告は、すべてにおいて、ターゲットを意識して作られている。そんなことは誰だって分かること。でもその反面で、広告を見た人たちに不快感を与えてしまっているケースも少なくありません。
事実、「広告に対して不快感や不信感を覚えたことがある」と回答した人は60%にのぼりました(なりさこ調べ)。
こうした不快感を相手に与えている表現や手段はさまざまありますが、やはりダントツで多かった意見が、必要以上に誇大表現をしている、所謂、誇大広告。集客目的や、商品販促のためにはある程度の誇張表現は必要だとは思います。が、その期待を裏切られる可能性を、誰もが危惧しているということころに、“広告”というもののあり方が問われます。

次に多く不快感を与えていたのが、何回も目にする広告。これは連発しているテレビCMや、メールマガジンも該当します。(かくいう私も幼い頃、弟たちと同じ会社のCMが連続で流れてくることを「2回バカ」などと名付けて笑っていた記憶もあります)
たくさんの人に、より多く見て欲しいという思いから、目に入る頻度を高める手法は、印象を高めるとともに、自然と悪印象も高まる諸刃の剣。企業や商品のことを「良く見られたい」という趣意のもとでつくられた広告が、「迷惑」と捉えられた瞬間、広告としての価値を失います(むしろマイナス)。

ターゲットが定まらない広告を、縦横無尽に拡散し、人目に入れることが迷惑なら。ターゲットを絞って人目に入れることができればいいのではないか?
そんな発想から生まれたのが、皆さんご存知の、オンライン上で行われている行動ターゲティング広告です。たとえばAmazonなどを利用しているとき、より有益な商品をユーザーへ届けるため、過去の行動・購入履歴を保持し、それをもとにインデックス化を行います。
一見、便利でユーザー目線に立った手法だと思われますが、これも賛否両論。消費者のプライベートな情報が知らぬ間に、ネット上で勝手に記録・利用されていのです。言ってしまえば、プライバシーを侵害されているような気持ち悪いシステム。あまり良い気分ではありませんよね。
このように、ユーザー目線に立って考えられたつもりの広告システムでも、つくった側の傲慢と捉えられてしまうこともあります。

インターネットがこれだけ日常的に使われるようになった昨今だからこそ、広告の手法も日々進化・拡大を続けていますが、だからこそもっと最適化が必要だと考えます。
ターゲットを意識してピンポイントに、最適に、広告を伝えられる時代はまだまだ先でしょう。


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Category: ビジネス

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